ブレンデットウイスキーは蒸留所を超えて、大抵の場合は幾十ものモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドして造られています。
そう考えると芸術品といえますよね。ブレンデットウイスキーを世に出すとき、ブレンダーはどのような香りの、どのような味わいのウイスキーを造るか試行錯誤し多くの樽の特徴を把握しながらブレンドしていくのです。
何だか美味しい理科の実験みたいですね。一度そのブレンデットウイスキーを世に出したら、そのウイスキーの味を安定供給しなければなりません。
同じ蒸留所の樽であっても毎回同じ味わいのウイスキーが眠っている訳ではないはずですから多少の調整も必要なはずです。そう考えるとブレンダーはかなりの才能の持ち主、かなりの芸術家といえます。では芸術作品を幾つか紹介しましょう。
ロイヤル・ハウスホールド
このブレンデットウイスキー、ロイヤル・ハウスホールドとは「英国王室」のことです。英国王室などというおそれ多いブランド名になったのは、1897年、既にブレンダーとして名が知られるようになっていたジェームズ・ブキャナン社が依頼を受けて、皇太子専用のブレンデットウイスキーを造ったからです。
それ以来、歴代の女王から御用達の認定状を授かりました。ただ名前自体は、20世紀初頭にヨーク公が世界一周の船旅にもっていった唯一のウイスキーだったことから、ヨーク公自身が与えました。
この由緒正しいウイスキーは、世界で3カ所でしか飲むことができません。その3カ所とは、バッキンガム宮殿、スコットランドの西部海岸沖に浮かぶハリス島にあるローデル・ホテルのBAR、そしてなんと日本なのです。
ブキャナン社は日本の皇室とも交流があったため、日本での販売を特別に許可したそうです。キーモルトは、ダルウィニー、グレンファース。それなりのBARで飲めますし、お値段30,000円弱で、ネットでも買えます。
オールド・パー
オールド・パーを見ると、何となく懐かしく思えませんか。もしかしたらそれは、かつての日本でオールド・パーが洋酒の代名詞のように成っていた時代があったからかもしれません。
実際、日本にはじめて入ったウイスキーがオールド・パーだったと言われています。明治4年、1871年に出発した岩倉具視を特命全権大使とする欧米視察団が、2年後に帰国したときに、オールド・パーを数ケース持ち帰りました。
明治初期から日本に入って来ていたウイスキーのためか、オールド・パーは上流階級の人々や政治家などにファンが多いのです。吉田茂、田中角栄などの歴代首相が愛飲したことでも有名です。
オールド・パーとは152歳まで生きたといわれる農夫トーマス・パーのことです。トーマス・パーは長生きしただけでなく、80歳という晩婚で子どもをもうけ、妻と死別後、122歳で再婚してまた子供をもうけるという、絶倫ぶりでも有名です。
不老長寿と絶倫。政治家がオールド・パーを好んだ裏には、パー爺さんにあやかりたいとの気持ちがあったからかもしれません。キーモルトは、クラガンモア、グレンダラン。
ジョニー・ウォーカー
心地よいスモーキーな香りがフワリと漂い、口あたりなめらかなライトタイプ。そんなジョニー・ウォーカーは、ジョニ赤、ジョニ黒、の通称で親しまれていますね。
有名なだけではなく、実際に長い間、世界売上ナンバーワンを維持し、いまも世界のウイスキー業界をリードしています。
現在のジョニ赤、ジョニ黒、が誕生するのには、創業者のジョン・ウォーカーにはじまり、じつに3代かかっています。初代が考案したウイスキー“ウォーカーズ・オールド・ハイランド・ウイスキー”を当時珍しい四角いボトル、斜めのラベルという画期的なアイディアで世に広めたのが2代目。
そして3代目がジョニ赤をつくり、同時に“ウォーカーズ・オールド・ハイランド・ウイスキー”を進化させて、ジョニ黒としました。このとき、シルクハット姿の英国紳士というトレードマークも登場しました。
キーモルトは、タリスカー、ラガヴーリンと、個性的なモルトになっています。